安全保障関連法に反対する学者の会で考えたこと 姉崎洋一さん(北海道大学名誉教授) | インタビュー・サイト ユーフォニアム

安保法制に反対する学者の会で考えたこと 姉崎洋一さん(北海道大学名誉教授)

第三世代の踊り場

● 戦後をひとつの起点と考えると、僕自身はやっぱり第二世代だと思うんですね。父・母が終戦後二十歳になるかならないかのときに昭和三十年代に結婚して、生まれた世代なので。僕には子どもいませんけれど、たいてい僕らの年代だったら子どもいます。その年代ですから、いまの若者たちは三代目ですよね。戦後から見ればね。だからだんだん三代目くらいになってきてから「格差」が出てきているのかなあという感じがしているんです。

 

姉崎 そういう意味ではヨーロッパ的な富の固定化と集中みたいなものが日本社会にも進展してきているので、そこからはじかれる人たちが非常に大きな問題を抱えているんだろうと思いますね。昔の私の時代も授業料千円の時代で、それでも最低限奨学金と授業料を加えれば親の仕送りがなければなかなか厳しかったろうとは思いますけど、仕送りがなくてもぎりぎり自活はできました。私も結構いろいろバイトをしましたけれども。あれが例えばいまの授業料みたいになっていたら、とても自分のお金だけではね。自分の生活費以外を工面しながらやるといったらよほどブラックなバイトとか、ひどいことをしないと無理ではないかと。いまはだいたい国立で年間60万でしょう?私学は文系でもだいたい100万でしょう。その分をバイトで稼ぐなんてとてもとても。生活費以外にプラスしてというのは難しいと思います。

 

● う~ん。何か勉強のために行っているんだか、何だかよくわかんなくなってしまうことになりますね。

 

姉崎 だからその意味で抑圧的、生きづらさ、生きにくさというのはより固定化されてきているのは確かじゃないかという風に思います。そこにこの戦争体制が出てくると余計にはじかれて、いまみたいな「いけにえ」というか、一番そういう子たちが攻撃の対象にされていく。だから余計学校に行きたくないとかいうことが出てきてる。昨日ですが、高教組の調査で道内の高校45校の四千人調査が出てきたんです。今度11月に正式に発表しますけど、「学校に行く目的」がね。真ん中から下の層は「資格取得型」に変わってきてるということです。それはやっぱり貧困の影響で両極化してるためだと思うんですけど。そして自由な教師よりちゃんと教える教師を求めるとか。

 バイトは18年前も調査してるんですけれども、その頃に比べても一人当たり月額の稼ぐ額が非常に多くなっていて、5万円以上稼いでいる高校生もいたり。その内の半分は貯蓄してるというようなこととか、「自分を孤独だと思うか」という設問には「孤独だと思う」率はやはり高い。同時に他人の目をかなり気にしてて、相手に合わせるということを一番に考えるようになってきているらしい。

 でも前よりは良くなったのは最近の動きがあるせいかもしれませんが、社会が「変わる/変わらない」という設問は前は「変わらない」という人が多かったんだけど、「変わる」と思う人がちょっと増え始めているということなんですけれども。まだ少しまだら模様なんですが、全体としては息苦しくて、貧しくなってきていて、余裕がない。資格をとって生きぬきたいという所に関心が強まってきているような印象です。

 

● 今回*「SEALDs」みたいなものが出てきて、これはもしかしたら変わり目かもしれないとも思うのですが、この夏、自分が一般書籍化させてもらった本を一緒に監修してくれた先生はそのあたり同様な認識で。基本的には今の若者は生きにくいし、他人の目線が非常に気になる。そしてキャリア教育というものに対しても驚くほど真面目だと。そこら辺は80年代に学生をやってた自分としては相当意識がちがうなという印象ですし、特にウチの大学の場合は中か中の下くらいの大学なんですね。だからすごく授業とか資格とか言うことに対する意識が高いと。雑談の中でそう聞いたのですが、政治向きの話、今ここでいろいろと話してますけれど、こういった話は「ちんぷんかんぷん」だと(笑)。おそらく外国語か何かを喋ってるような気がしてると思います、みたいな話なんです。それを聞いてそうなんだぁ、と。確かに僕も20代前半のときはそうだったと思うけど、まあ、外国語喋ってるとまでは思わない(笑)。

 

姉崎 それはやっぱり大学が職業教育化するとそういう政治的な教養とかね。広く社会を見るという余裕が学生の中になくなって来てるので、意味がわからんという。でもこの間、非常に効果あるのは日々そういう学習の場面が大学外のいろんな場で出てきたので、それで広がるとか、刺激を受けるとかいうことがあったんじゃないでしょうか。

 

● ですから昨日はね。奥田さんという人ね。国会の公聴会を聴きましたけど、やっぱり感銘しましたよ。たいしたものだなあと思ったし。

 

姉崎 彼も不登校の体験がある人なんですよ。

 

● あ!なるほどねえ。

 

姉崎 彼はねえ。お父さんがホームレス支援をやっていた活動家の人なんですよ。

 

●ああ、そうなんですか。はい。

 

姉崎 で、彼自身どういうわけか学校に行けなくなって離島留学で一回離島に行って、あと全寮制の学校に行って、そういうプロセスを経て今の大学に入ってきているという。

 

● ああ、そういう心理的な何というか。

 

姉崎 そう、苦しい時期を乗りこえてきて。

 

「個人」として

● 苦しい時期を乗りこえてきているからやっぱり全体の中にいる感じを見ていても、胆力があるとか、勇気があるというコメントも多かったですけど、何か全体を俯瞰して見れている印象が非常にありましたね。つまり同世代でも異世代でもいんですけど、日本人特有の世間の目、みたいなものを気にして緊張するとか、怖がる。まさに「ふるえる」。それこそあんな、何というか野蛮な議員さんが沢山いる中でそれは普通はふるえるものだけど、あの落ち着きというのはそう無いと思うんですよね。やっぱりこう、ひとりになった経験があるから。

 

姉崎 個としての、という。

 

● 個としての。ということを言えたのかなあ?という。響きますもんね。個人としての自分ということを実感を込めて言える。

 

姉崎 だから背景を見るとそういうことも彼にはあるんだなあと思いながら。

 

● マイノリティだった時期を持ってる人の強みというのはありますね。

 

姉崎 集団の中に群れて依存するということではなくて、でも連帯を拒否しない。で、いろんな立場の人とやると。そして自分のやったことはごく普通のことであって、革命を起こすとか、そういうことでもないし、イデオロギーを主張しているわけでもない。こういうようなことは非常に通りやすいですね。

 

● ええ、ええ。そうですね。普通の人にも了解しやすいというのは「年越し派遣村」の湯浅誠さんが出てきたときの印象とちょっと似ている感じがしました。

 

 

 

姉崎 湯浅さんは悪い人ではないですが、法政大学に行ってから少し変わってしまった気がしますね。だから僕は沖縄に行ってみて、戦争をもろに自分の記憶の中に持っている人ね。この人たちはブレないですよ。それは強いなあと思いましたね。だから80代、90代で人生の最後は見えてきている人たちですけど、この人たちはブレないですね。その迫力があるから沖縄はその直近の下の人たちが動いているという。僕もそうですけど、団塊の世代というのはやっぱり学生運動でわっと行ったけれど、民主主義の未熟さだったと思いますが、「自分で引き受ける」という覚悟がやっぱり弱い人たちもいたので、運動の渦中にいたときにはやったけれど、ちょっと企業社会に入ったりするとやっぱり体制内化してしまうという。でも良心の呵責みたいなのはどこかにあるので、また一回退社したりすると少しまた動き出したりしている人もいると思うんですけれど。僕はちょっと危惧しているのはそのSEALDsの人たち含めて若い人たちは最初からどん底ですから、そういうところをなんとかしたいと思ってるんだけど、いまの四十代、五十代ね。その辺りがある意味で一番サイレントなんですよ。声を上げないし、なかなか難しい。運動的にも勝った経験がないし。

 

サイレントな中年世代

● やったこともないと思うんです。

 

姉崎 うん、経験もない。

 

● ええ。本当にそう思ってます。

 

姉崎 だから美味しい話は全部上の世代が自慢するからみんなキライ、と。

 

● (笑)ははは。そうそう(笑)。

 

姉崎 そう思っているし、下の世代はなんか頑張ってるけど、こいつらも嫌いと思っていて、でも社会の一番中堅どころにいて、一番苦しいところをやらされていて。

 

● ああ、そうか・・・。

 

姉崎 ここら辺の人たちが一番声をあげないのがやっぱりなかなか難しいなあと思いますね。

 

●いやあ、正直な話、バブル世代ですし。ダサいとか格好悪いというものをずっと排除してきて。運動とかそういうものをどこか遠目では知っているので、かつ、敗北も知っているので。なお一層忌避感が強いのではないか。そういう形でずるずるときて。まさに五十代から四十代の下くらいまで。あの、90年代の真ん中過ぎくらいまでに青年時代をおくった層ですが。

 

姉崎 バブルがはじけた後ですか?

 

● その前の全く何にも考えなかった頃。みんな消費の方に行った時代があって、運動ダサいというか、もう死んでたと思うんです。社会運動自体がね。90年代全くそういうのがなくって、2000年代で新自由主義がわ~っと来て、僕も社会保険労務士の資格一応持っているんですけど、全然気づかなかったんです。製造業派遣というものがああいう現状になっているということ。だからやはりびっくりしたんですね。2008年の秋くらいに『反貧困を』読んで、湯浅誠さんの講演を秋に初めて聴いて、12月に北大に来られて。で、この冬大変なことになりそうだという話を聞いて。本当に大変なことになったので、びっくりしたんですよ。特定の人を輝いているの、輝いていないのというのも妙な話なんですが、「年越し派遣村」の頃の湯浅さんは輝いて見えました。

 

姉崎 非常に世の中の経済評論家などに比べると明瞭でしたよね。で、あんなことは実現できないのを省庁の壁を越えていろいろとやりましたね。その後が民主党政権で。多少彼も関わって、もう少しやれるかなと思ったんだけど、鳩山、菅政権時代にちょっと可能性があったんだけど崩れちゃって、野田になったら全くおかしくなっちゃったもんだから。あの頃の民主党のちょっと動いた、ちょっとずれた時期があったけど、結局幻に終わってしまって。その後ですからね。その後にまた安倍ですから。そういう意味でいうと、その人たちが輝いた時代がぽっと過ぎて、闘いの仕方ももうちょっとなんというのかね。違う形での総合戦を求められる形になってきてということがあったりするのかもしれないなあという気がしますけど。

 

反動に対する逆バネが働きにくい日本社会

● 政策のある局面から見込みがあったと思うんですけどね。その点では90年代のイギリスを真似ようとしたのかもしれませんけれど。いまやここまで反動的になってしまったというのはどういうことなのか?先ほど10年来自民党は準備してたって仰いましたけど、こんなにも。民主党に対する幻滅が大きいというのはわかるんですけれども、ただそれにしてはあまりにも嫌われ方が著しいというか、私はまだちょっと未練がありますのでね。戻ってきて欲しいというのはありますけど。

 

姉崎 ただ、右傾化というのは中野さんの本などを読むと日本に限らずずっと動いてきて、それは常に押しつ押されつの中で生じてきているので、必ずゆり戻しが生ずる。そういうことはあるんですけど世界全体としてはこの間、新自由主義が展開し始めた以降、右傾化は非常にやっぱり強く出てきたのは間違いない。ただ、今度のさっき言った労働党のゆり戻しとか、オーストラリアもここ一日、二日でゆり戻しが来てる。ギリシャもそうですし、行き過ぎた新自由主義のやり方って必ず逆バネが働くというのは多くの国の現象なんだけど、日本の場合は逆バネが十分作動せずに来てしまった。ただ、山口二郎さんも今回出ずっぱりみたいにやってますけど、そのプロセスで学んだことはすごくあると。表層的にあまりに民主党に期待しすぎたと。だからそういうものじゃないということを彼自身は学ぶというか。ということは、日本もようやくゆり戻ししつつあるんですけれども、中間部分が。

 

● 中間部分がね。

 

姉崎 中間部分に沢山の企業の支配とか、そういう人たちが残っているので、そこが不透明でよく見えないですね。で、排外主義がまだ日本社会に強く残っている。この気分をどういう風に変えるのかというのは大事じゃないか。中野さんは10数年かけた右傾化が用意されてきてると言う。だから今の安倍政権は倒れるかもしれないけれど、それでも翌日からガラッと変わることはない。だから10数年を彼らがかけてきたのであれば、同じくらいの時間をかけて社会をもう1度まともなものに戻していく戦いをしないといけない。だから先ほどの裁判所もそうですし、教育もそうですし、福祉や医療も全部そういう風になっているから、そこをもう1度スイッチを変えていくことをしていかなければならないので、そう楽天的にもなれない状況があるし、目の前にある一見すると目に見えない、巨大新聞とNHKニュースばかり見ている人たちはね。それはやっぱり洗脳されてますよ。

 

● (笑)そりゃあそうですね。ひどいですからね。NHKはね。かつてないほどに。SEALDsについて先ほど少し話しましたけれども、あの人たちは運動体として欧米的で新しいというか、フライヤーとか、広報の仕方とか、語りとか、デモのやり方とか。僕は割とイギリスのロックを80年代にずっと聞いていたので、あの当時はロックミュージシャンも含めて、つまり当時は東西冷戦の渦中でヨーロッパに核が舞うんじゃないかという恐ろしさがあったり、あとイギリスでは84年頃に炭鉱労働者のストライキとかが激しかったので、非常に若いロックバンドや何かがそういう運動の中に加わっていた時期があるんです。ですからそれが少し格好いい。運動がね。対して正直、悪いんですけど、こちらの人はね。昔ながらの60年代的な組合と運動なんで、向こうは非常にセンスが高いような気がしました。そして、バンドは演奏する。かつエモーショナルでもあるというのが伝わるというのがあって。そういうのが日本にはなくって。

  僕自身、2003年のイラク戦争のとき何かいてもたってもいられず、デモに行ってみたんですけど、すごくちょっと組合主導で。人も少なかったですし。あの時ちょうど知事選挙があったんですよね。野党の知事候補の人が来られていて、集まっている人たちに「お疲れさまです」「ご苦労様です」とか挨拶してるんですね。黙っていたら格好いいのに。「あ、いる。野党の知事候補、歩いてる」みたいなほうが格好いいのになあって。そんな挨拶して回らなくてもいいのになあって(笑)。まるでタスキかけてよろしくどうぞ、みたいにさえ思えてしまって。それに比べると今の若い、まあSEALDsに代表されるような世代の運動は匿名性もあり、かつセンスがいいので、それはやっぱりポピュラリティというか大衆性という意味では今の時代にすごくフイットするのだろうなあという風に思ったんですね。でもこれは全然マスコミでは報道されませんでしたが。

 

新しい運動のセンス

姉崎 いや、そのことはね。話題になってて。いま「おしゃれ」とは言わなくて「オサレ」でなくてはいけないという話になってて、SEALDs批判のもうひとつの古い古い左翼側からの批判ね。それをネトウヨに対して「ネサヨ」ということばを聴きましたけど(笑)。

 

● (笑)。ああ~。

 

姉崎 そういう連中がいうのはいまの広告手法と同じことをやってると。つまりファッションと同じ宣伝広告戦術。目立つように現代にあわせるという手法をSEALDsの諸君はやってると。それは資本主義のそのままじゃないかということを古い古い左翼の人たちはいう。僕は支持しないけど。ただ、要するに彼らはそういう中でしか育っていないので、そういう風にすることで同世代にアピールできる。古いシュプレヒコールとか、オジサン的なものでは動かない。だから両方あっていいんだと。それぞれのやり方で。それは共存すればいいという風に僕なんかは思っていて、だからSEALDsが出てきて何かヤングみたいなものだけど、オールズが出てきたじゃないですか。東京でね。で、あのオールズのやり方も面白くて。

 

● あ、「オールズ」というのがあるんですか!へえ~。

 

姉崎 (笑)あの、もう年寄りだからデモもしんどいので、山手線に「安倍政治許さない」みたいなものを掲げて一時間座って元の所にたどり着くという。その間にみんな出入りするので黙って意見表明だけ。で、一日中やるとJRから文句がでるので、一日一回だけはやるみたいなことをやるとかね。みんな巣鴨でそういう風に集まる人たち。だからオールズが出てくればミドルズが出てくるとか。

 

● (笑)。

 

姉崎 だから僕はそういうのはいかにも面白いと思ってそれぞれにあったやり方でやればいいんじゃないかなあと思って。だから何も無理して若者に全部あわせる必要もないし、でも若者で受けるのは若者でしかないし、いままではどちらかといえばデモはおじさんたちがやってたので、呼びかけられてもあまり響かなかったけど、同世代が、そして高校生も、ちょっと上の兄さん姉さんがやっているので入りやすいというそういのはあるんじゃないかなあという風には思いますけど。ただ高校生なんかを見てるといまだに校則その他が厳しいので、おおっぴらで集団で来られるのは限られた高校。そういうことをやれるような学校はいまだ少なくて、来てる子はみんな個人で来たりしてるということだろうと思います。

 

● 個人で来るのは立派なものだと思います。勇気があると思いますけどね。

 

姉崎 うんうん。だからSEALDsが動いてくれたので、高校生も出やすくなったとか、それで彼らのコールもなんとか短縮形で、さらにまた違ってくるというというようなことが出始めてるからそういう意味で言えば百花繚乱で。

 

個人の生理感覚から生まれる声

● そうですね。ある意味で日常の中の自分のことばから生まれるものが大事で。借り物のことばを語るよりはやっぱり。まあ生理の。生理だけじゃダメでしょうけど、それでもあの、生理的な意識から近いものから出てきたものの方が本物だなあって思うんです。

 

姉崎 そうそう。だから僕は「ネサヨ」のおじさんたちがね。若者たちが出てきて、変なことでイチャモンつけるのはやめてくれと(笑)。若者は若者でやってるし、若者は別にほかの世代を拒んではいない。札幌の「ふるえるデモ」に参加している僕らの学生も聞くと、ネトウヨからバッシング受けるのは勿論だけど、何と言うのか、古く、前からやってるおじさんたちからも興味本位でみられたり。まあ、女性なので。変な女の子たちが頑張っているみたいに言われて。すごく傷つくんだと。そういう風に民主主義のありようも逆に問われている。ジェンダーの問題がやっぱり労働運動を含めて弱かったのが分かったと。だからそれは日本の民主主義のいまのありようみたいなものが炙り出されてきているという風に思えます。

 

● でも、僕も今回、デモに参加したのはひきこもりの自助会に参加している人の誘いでしたから。ある意味でひきこもりの人だからと言っても高い社会意識を持っている人がいるんですよ。ひきこもりの人って社会意識がなくって、家に引きこもって、社会と接点持っていませんというわけでは決してなくって。

 

姉崎 ええ。だからそういう「ありのままのすがた」が今回いろいろ出てきて良かったんじゃないか。ねえ?ステレオタイプで運動やる人はこういう人だ、みたいに思われていたものがそうじゃなくって、いろんな人がいろんな事情で、いろんな言葉で喋りだしているということ。そして専門家じゃなくてもちゃんと言えるんだ、言う権利があるんだ、みたいなことですね。

 

● そこが一番インパクトが大きかった部分かもしれませんね。今回の12万くらいの国会前のデモでしたか。その中心に若いSEALDsのメンバーがいるということを考えると、さっきの話に戻ると若い人は政治意識がない、教えられても来なかった、自分の生活を守るためには社会のことを考えてる場合じゃないんだ、みたいな。まあ新自由主義的な中に呑み込まれてるという「思い込み」の前提がね。僕の中にもあったものですから。意外にもやっぱり声をあげる人たちが出てくると。で、それが正論だったりすると、かなりの頻度でそれに共鳴する若い人がいたんだと。こういうあたりはちょっと画期的だったんじゃないか。

 

姉崎 そうですね。待ってた、みたいなね。

 

● 動員じゃないですよね。もちろんソーシャルネットで広報はやってますけど、来いよ、って強制するわけじゃないですからね。

 

姉崎 さっきのおしゃれみたいのでいうと、SEALDsは一人一人の役割を重視していますよ。やっぱり彼らも自分の得手不得手があって。だからポスターも格好いいですよね。

 

● 格好いい、格好いい。

 

姉崎 それはやっぱり美大へ行ってるような学生がデザインをやるとか。するともうたちまち作っちゃうでしょう。ねえ?ありとあらゆる得意技をそれぞれ生かしながらやってる。いま全国に出来ているのは、つまり東京に来ている学生たちが全国から来ているわけじゃないですか。そうすると関西に行って、関西は東京に対する対抗意識も多少あるので、それで自分たちでやると。で、あそこは京都大阪中心に神戸も入ってますけど、大阪は大阪で「ふるえる」と同じような大阪の連中がいて、SEALDsだけじゃないんだというので、大阪でまた作るというような動きになっている。東海地区も同じように東京、大阪に行っている学生さんたちがいて、そういうのと、高校時代の友だちの話が来て、ここで作ろうみたいな意識が出てきたり。SEALDsの中には北海道出身の人で行ってやっているような人もいたり。

 

● ちょうど夏休みの時期でもありますしね。

 

姉崎 ええ。その意味ではネット社会の広がりっていうのか、共時的に即座につながっていくという、そういう技術も彼らは駆使できますからね。そういうのと、情報網の発達。12万集まった日に実は全国2千箇所で同じ動きが起きた。そういう広がりをね。国会でも奥田君よく調べたと思いますけど、そういう情報網が非常に発達してるんだなあと思ったり。

 

● そうか。そういうインテリジェンスの部分も・・・。

 

姉崎 そう。そして変な挑発にものらない。変な極左的な人にも踊らされないとか、またそういう人たちを敵対的に排除もしない。あくまで非暴力で話し合いで自分たちでやっていくんだ、みたいな特定の主義主張でやっているわけじゃない人だというのは非常に明瞭に行っているし、そこに彼らを守る大人の人たちの役割もあって。今回、弁護士会がそう動いていて、警察やそういうものとの間で常に弁護士が立ち入ってくれて処理してくれるという。その意味で大人との関係性も上手いんじゃないかと思います。

 

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管理人:杉本 賢治

編書『ひきこもりを語る』(V2ソリューション)

※8月27日『ひきこもる心のケアー経験者が聞く10のインタビュー』(世界思想社)、好評発売中。

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