生涯発達の心理を語る 平野直己さん(北海道教育大学准教授)

生涯発達の心理を語る~ひきこもりから「下山(げざん)の心理学」まで~

 

ー 今回は北海道教育大学札幌校の平野先生に青年期の自立を中心にお話を伺おうと思います。平野先生は主に思春期青年期の人たちへの心理的な支援が専門と聞いております。よろしくお願いします。実は私が平野先生にお話を伺いたいと思ったのは、私自身元ひきこもり当事者として経験があったりしたものですから。その意味で青年心理とか、自立の心理にも関心があったんです。

 

平野 ああ、そうなんですか。

 

ー 私、10代の時に対人恐怖症で高校中退してるんですよ。

 

平野 へえ~。10代のお幾つぐらいの時ですか?

 

ー 16歳の時ですね。高校1年の夏に休学して、そのまま中退しました。それから通信制高校に転学しまして、大学に推薦で入学させてもらったという経緯なんですね。そして、そのあとは大学時代ですね。半分自立したいという気持ちがあって、大学のすぐそばでひとり暮らしを始めたんですよ。そこでバイトしながら卒業するのが目標だったんですけど、地元学生の新興宗教の人に入信を誘われまして。で、何だかんだ抗いながら人間関係が濃くなっちゃって結果的に入信しちゃったんですね。

 

平野 しちゃったって別にね。悪いことではないですよね。

ーいやあ~。まあ(笑)。

 

平野 まあ、いろいろあるでしょうからね。

 

ー 楽しいときもあれば、苦しいときもありで。

 

平野 支えにもなれば、ね。

 

ー そうです、そうです。で、苦しくなったんですよね。僕は卒業するときに部長という役職をやってたんですけど、それに耐えられなくなって。逃げ出したんですよ。で、そのあとマインド・コントロールやら罪悪感やらで悩んで、精神科ショッピングをやってた時にいまのセラピーの先生に27歳の時、出会ったんです。

 

平野 僕は28の時まで東京でずっと不登校の子どもたちの教育相談センターとか、あと児童精神病院とか、マスプロ大学の学生相談室とかで働いたんです。それから非行のことをやりたいなあと思っていたら札幌の少年鑑別所の所長から「来てみない?」って誘われて。で、「あ、いいな」と思って北海道へ来たのがきっかけです。

 

ー じゃ、ほとんど鑑別所で仕事が?

 

平野 1年間だけ少年鑑別所で仕事をしてそれから大学の教員になりました。岩見沢の教育大学なんですけど、付属学校が唯一無いところだったんですよ、岩見沢分校って。全国で見ても岩見沢校くらいなんじゃないかな。

 

ー あ、そうなんですか。へえ~。

 

平野 で、その当時のボスにね。僕、不登校の子たちとか、そういう人たちの心理療法とかプレイセラピーが専門だったから。何か不登校の子がウロウロするようなスペースを作っていいですか?って伺い立てたら「面白いからどうぞ」って。こういう相談室を作ってもらって。そのほかに学外に地域の人たちと一緒に一軒家借りてフリースペースを始めたこともあるんです。それは「ユリーカ」という場所で。

 

ー そういう経緯なんですね。

 

平野 そこで気がついたら北海道も19年、20年近くなりますね。ですから僕は一応心理療法が専門で。子どもから思春期、青年期の人たちまでの心理援助をやってるんですよね。

 

ー あの~、今でも面接なども?

 

平野 うん、今日も。

 

ー ああ~。こちらのほうでされていたんですね。

 

平野 ここで週10時間くらい。

 

ー 年齢層はだいたい?

 

平野 下は2歳の子から。

 

ー え?2歳?

 

平野 2歳から、上はまあ、子どもたちの年齢によって28、29歳くらい。

 

ー ああ~。それは幅広いですねえ。

 

平野 幅広いというか、まあそうですね。病院とも違うし。スクールカウンセリングとも違う。何というのかな?行くところまで一緒に行こう、みたいな。長い人は15年以上という人たちもいるし。

 

ー 私もいまのセラピストとも、もう20数年来。

 

平野 そういうことになっちゃうでしょ?

 

ー そうですねえ(笑)。こうなるはずではなかったんですがねえ(苦笑)。

 

平野 ははははは(笑)。

 

ー (笑)。

 

平野 そう。みんなそう言うね。俺も「そんなはずではなかった」と。

 

ーははは(笑)。

 

平野 そんな感じになっちゃう。でね、杉本さんは僕より3つくらいお兄さんだって聞いたけれども、あの頃の学校の先生は怖かったよね。棒、持ってたしね。

 

ー う~ん。立たされた記憶はありますねえ。

 

平野 僕はヒゲを書かれた。

 

ー (笑)。

 

平野 立たされもしたし、座らされたりもしたし。殴られもしたし、蹴られもしたし。

 

ー うん。ビンタはありましたよね。

 

平野 ビンタね。うん、そうだね。しごくという、そういう時代だったな。だからこの30年くらいの変化は本当に大きいですよね。

 

ー 本当ですね。僕の中学校、凄い荒れてたんですよ。家の中も少し荒れてたんですけど。実は僕、どちらかというと家の中がちょっと辛くて。兄貴と親父の折り合いが悪くてですね。それでちょっと僕のほうが神経が参っちゃったというのがあったんですけど。主観的にはそう思ってたんですね。ただ中学校も凄く荒れてましたよ。

 

平野 みんな、怒ってたよね。

 

ー 怒ってましたねえ。何か外壁に「闘争!」とか赤い字でビラが貼られてたり、落書きがあったり。で、僕の家のそばに公園があるんですけど。小学校くらいのとき、覚えてますけど、シンナー吸ってフラフラになって寝転がっている若いお兄さんとかいました。

 

平野 いたね。いたいた。だからその頃にひきこもってたって。

 

ー あ、流石に僕はその頃はまだひきこもってないっすよ(笑)。

 

平野 ひきこもってないか。僕もその頃やっぱ学校嫌いで。とにかく学校の中を逃げ回っていたな。それと、あとは迷惑かけてたなぁ。だからどうも自分がみっともなくて何か宜しくないなぁと思って生きてたんだけど。でも、どうにも仕様がないからね。

 

ー 迷惑といいますと、どんな迷惑をかけてたんですか。

 

平野 迷惑というのはね。小学生の時からどうしようもない子どもだったんだよなあ。何かしらないけど人を突き飛ばしちゃったり。人の家の冷蔵庫を勝手に開けちゃったりねえ。

 

ー ああ。それは僕も逃げます。きっと。

 

平野 どうしようもない子だったのね。友だちもみんないなくなっちゃうし。何か一生懸命生きよう生きようと思ってたんだけど、上手くいかなくて。「辛いなあ」と思ったんだけど。不登校ってやり方も知らないしね。

 

ー う~ん。僕は逆ですね。そういった子どもから逃げるタイプでしたね。

 

平野 ああ~。いや、だけどね。傷つけようという気持ちはこれっぽっちもないんだよ。だからそういうこととは全然関係なくって、何かしらないけど人を傷つけちゃう。でもね、そういう自分がみっともなくて、格好悪くて、っていうのは凄くあったよ。今ほら、対人恐怖とか対人緊張の話が出たでしょ?

 

ー はい。

 

平野 昔はどちらかというと、自分のせいという形じゃなかった?対人恐怖の人たちとか。自分が恥ずかしいとかね。情けないとかね。最近の人たちはね。「外が怖い」というね。外界が怖い。だからつまり、自分がどうこうではなくて”あの人たち”が攻撃してくるから怖いというね。つまり自分が「被害者側」に感じちゃうのね。自分が駄目というよりも周りの人たちが自分を責め立ててくるとか、それが不安だという人が多いね。

 

ー そういうような対人恐怖に変わってきてるとかいうことは、何となくぼんやりとした形で聞いたことはあるんですね、僕も。

 

平野 ああ。成田善弘先生とかも仰ってるよ。

 

ー 確かに前者の話は非常に良くわかって。僕もまったくそういう自分だったなと思ってるんですよ。あの~、スポーツ駄目。勉強駄目。いわゆるのび太くんですわね。だから家に篭っちゃうというか、外に出たらジャイアンみたいな奴にいじめられる(笑)みたいな。ですから、外界が怖いというのはそれ、パラレルで繋がってるような気もするんですが。どの辺が違うんですか?

 

平野 何か外在化するんだよね。

 

ー 外在化?

 

平野 自分の内面で物事を測るんじゃなくて、外側のこととして物事を測るわけですね。

 

ー ということは、自分がこれが出来なくて駄目だから。スポーツが駄目だから、勉強が出来ないからみんなから好かれない、もてないとか。そういう理由ではなく?

 

平野 勉強ができないというよりは外側に障害というものがあって。だから上手くいかないんだとか。先生が僕を理解してくれないからとか。友だちと趣味が合わないからとか。友だちが理解してくれないとか。あと何だろうね?そういう外側の人たちが嫌がらせするとかね。

 どっちかというと自分の内面から悩むっていうんじゃなくて外界のことで悩むという感じかな。だから僕はどちらかというとそれをもう一回、自分のものとして引き受けていく練習をしてもらうんですよ。すると意外と何とかできたりするんですよね。なぜって、人のことは変えられないじゃないですか?だから少し自分のこととして引き受ける。そうするとちょっと出来る、付き合えるという感じ。

 ですから、この部屋で扱う話はどちらかというと外の問題にはしない。自分の問題にして抱えていくことなんだよね。別にひきこもりはいけないことだとは思わないし、良い悪いはどうでもいいことなんです。だけどそのことが自分にとっての問題なんだと感じられる人は結構ここにいらっしゃったりすることがあるわけ。この相談室という装置はそういう風に出来ているんですよ。だから、ここに来れたら大概、問題は解決してる。

 

ー 結局、自分のことを考える場所に利用してるという感じになりますかね。

 

平野 自分がどう生きるかを考えるということですね。ただ、そういうことを安心してじっくりとやれる「時間」と「相手」と「場所」が無いわけですよ。

 

ー そうですね。本当にそう思います。

 

平野 だからそこで勇気を持って訪れるかどうかという所までが結構、時間がかかるかな。でも誰かがそういう場を用意しておかなきゃ見つけられないし、自分が見つけないと自分のものには出来ないし。それが結構面白いところなのかな。

 僕はだから、ひきこもり当事者にとっての問題は何か?というとね。自分なりに何かひきこもりについて考えたり、今の自分が置かれている状況とか自分がこれから何が出来るのか?ということについて何も考えていない人はいないわけじゃないですか?だからその意味ではひきこもりじゃなくてもいい訳だけど、でもひきこもりの問題として考えた時、考える時間はいっぱいありそうだけども、考える「時間」と「場所」と「相手」がいないんですよね。「相手」もそうだし、「時間」もありそうで実は無いんだよなあ。そのための時間が作れないんですよ。何故かといえば時間って区切らないと時間にはならないから。いつでも考えられる時間がダラ~とあると、考える時間がない。

 

ー 永遠に続く夏休み、みたいな感じですね。

 

平野 逆に言えばその区切る時間が恐ろしくなってしまう。

 

ー わかります。その区切る時間が恐ろしい。きっと区切りとか、節目が訪れる時って不安が高まるんですよね、きっと。

 

平野 だからきっとそこが難しくて。僕はこの相談室をそう使うけれど、そういう時が来やすくするにはどうしたら良いか、ということをいろいろ考えています。

 

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管理人:杉本 賢治

編書『ひきこもりを語る』(V2ソリューション)

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