生涯発達の心理を語る 平野直己さん(北海道教育大学准教授)

平野 あとね。さっき杉本さんの体験を聞いて思ったのはね。僕は病気になれる人は凄く力がある人なんだと思うんですよ。じゃあ、いま何がもうひとつの特徴かというと、「軽症化」してるんだよね。どんどん、どんどん。つまり病気になれないのさ。乱暴な言葉を使えば”狂えない”の。昔はなんかドスンとこう。それこそ本物のひきこもりになって、なんていう人がほとんどいなくてね。すごい勢いで熱を出してガッとなる子どもたちも減ってきてるわけだしさ。

 

ー ああ~。そういう感じ。

 

平野 悪くなれない、というかね。非行も減ってるし。

 

ー そうですね。確かに。

 

平野 でね。みんな怒れなくなっちゃったというかさ。具合が悪くなれないというかさ。ドロップアウト出来ないというかね。昔の暴走族のように暴れて、でもそういう子たちは割と早く子どもを卒業して、結婚して、また子どもを産んでという割に早いライフサイクルを送る人がいるし、逆にいじめられて怖い思いをした人は相手の攻撃性の怖さを感じつつもそんな自分が何か物足りないなぁと思いながら大人になるわけで。そういう人たちはどちらかといえば内省的な世界で生きているから、大学の先生になる人が居たり、教師になったり。

 いまはそういうことのボーダーラインがなくなってきたでしょ?そんなに突っ張る奴もいなくなっちゃったし、じゃ、かといってびくびくしているかといえばそうでもなくてね。どちらかといえば自己愛的な意味で傷つきを恐れている子がいるのね。

 なんかさ、点数が悪かったらどうしよう?とか、カリカリやってる子がいてもね。そんな攻撃的な人たちを見て「ああ、俺には出来ないなあ。何て弱いんだ」って悩む人が僕の見ている場面では少なくなってきたかな?と思う。そういう子がいたら大好きだよ。僕は。

 何を言いたいかというと、ひきこもりもね。その難しさは何かというと、自分が出る/出ないじゃなくて、「自分自身をどういう風に悩もうか」という所で困っている。そういう人たちが結構多いような気がするんだね。

 

ー うん。どう悩むのか。

 

平野 悩もうかといった時にさっき言った「時間」と「場所」と「相手」がなければね。そして残念だけど親はもう、そういう相手じゃないしさ。そうすると外からの力だと思うんだよね。外から声をかけてくれる人がいるか、いないかだと思うんだ。

 ある農家のおじさんでね。カルガモに虫をとらせてお米作っている人がいるんだよ。カモ100羽くらい買って中国から持ってくるんだって。何故100羽かというと、それより少なくなると顔覚えちゃうから、愛着がわいちゃう。その次の年、食べちゃうからかわいそうになるでしょ。だから100羽くらい沢山飼う。そうするとね、何羽かはね。田んぼに出られないカルガモちゃんが出てくるんだって。それをね。農家の人がビビらせても出てこない。「ほら、出てけ!」ってビビらせるとね。だいたい死んじゃうんだって。「どういう風にするんですか?」ってきいたらね。仲間がね、しじゅう声かけるんだって。それでね、声かけたらすぐにサッて出ていくことはないんだって。何日も何日も声かけるんだって。で、ある時ね。出てくるんだって。僕、その話聴いたときに「それかな?」と思ったんだよね。だから僕はひきこもりとか言われてる子たち。若者ね。中学生、高校生、大学生とか、大学行ってないかもしれないけど。中学生とか高校中退しちゃった子たちとか。特に札幌圏内じゃなくてね。札幌じゃなくって北海道の人たちね。圧倒的に義務教育終わると声がかからないんだよね。

 

ー ああ、そうですねえ。

 

平野 ひきこもるしかないんだよね。アルバイト先もさ。”ニコッ”と笑えない子は雇ってもらえないしさ。ちゃんと約束を守れて律儀に仕事をする子でも、笑顔の一つも作れて、可愛いことのひとつでも言えないと雇ってもらえないんだ。だからそうやって真面目に責任を持ってやれる子なんだけど、雇ってもらえない訳さ。愛想ないし。そういう子たちが多いように思う。そうした子どもたちに、僕はメールを出すの。今度そっち行くから会わないか?とかさ。メシ食わない?とか。今度俺、道東のほうに出張するんだけどついて来るか?とかさ。車乗せてやるし、宿、俺と一緒でよければ泊めてやるし。まあ、メシ代くらい持って来いよ、母親に言ってさ。あと、今度自転車で旅するから一緒に旅しない?とか。沢山声かけるの。そうするとね。100回に1回くらいは来てくれる子がいる。

 自転車の旅とかすると、隣の人とお喋りしてもいいし、しなくてもいい。最初はみんなお喋りしてるかもしれないけど、しんどくなると黙り込むようになる。自分の身体と対話を始めるからね。でも、それなりに何か達成感があるしさ。結構、声かけると来るんだよね。で、一度来るといろんな場所に出始める子がいるんだよね。それは何か俺、ひきこもりってさ。それほど重要な問題じゃなくてさ。要はこう、さっきのカルガモの話じゃないけど結局声かける人たちがいないんじゃないかな?相手になってくれる人が。都市化されていない所って、特にそうだよね。親以外の誰かに「ちょっと来てみない?」とかさ。「こんなのあるんだけど」、って。最初は待っていてもそうそうは来ないよ。不安があるし。信用できないし。準備はするかもしれないけどやっぱり途中でやめよう、とか思うかもしれないし。どうしよう?と考えること自体がないかもしれない。普段心を動かさずに一生懸命生きようとしてるとね。だけどそれを何回も何回も。こっちが腹立てたりすることなく、欲望を持たずに淡々と声をかけたら「ああ、ちょっと行ってみるかなあ」って。行けちゃう子たちが結構いるような気がするんだよね。勿論、これがひきこもりの全員だとは全く思ってはいないんですよ。

 

ー はい、わかります。

 

平野 不登校だっていろんなタイプの子だっているし。だけどね。それを思うとね。そういう中で自分のことを考え始めるんだよね。それまで考えてこなかったとは言わないけどね。何というかな?対話を通して考え始めるというのかな。

 

ー うん。そうですね。

 

平野 あともうひとつ言えるのは、親は出来ないんですよ、これ。親からの助けの手はね。やっぱり掴めないんだよ。掴んじゃうとまた結局おんなじだから。子どものままだから。

 

ー そうそう。親に対してはプライドが許せないですよねえ。

 

平野 プライド許せない人は健康だと思うよ。たからお宅のお子さんひきこもっているかもしれないけど、心は健康だよって僕は言うんだ。お母さんの言いなりになろうなんて思えないんだもの。それが立派なもので。でもそう言いつつお母さんと一緒に添い寝しているような若者もやっぱりいるしね。でもそれはさ、離れたい気持ちと離れたくない気持ちの両方が出ちゃうからそういうことがあるわけで。でも、くっついていることの情けなさとか、そっちの意味の怖さの両方あってさ。それは二人の間だけでは解決できないんだよね。

 

ー そうですよねえ。

 

平野 だからそれも、もう一人の人が必要なんじゃない?子ども育てるのって親だけじゃできないのよ。もう一役必要なのよ。

 

ーええ。

 

平野 そこがなんかちょっとうまく行ってないというのかな?子育ては親の問題だとかさ。親の仕事だとかさ。何かちょっとね。そういう閉塞感が凄くあって。だから「ユリーカ」なんかもそうだし、フリースクールとか。地域のことをやってるひとつの「隣の子どもを可愛がろう」キャンペーンもそう。自分の子どもにやったら過保護って言われるけど、ほかの子どもにやったら褒められるんだよ。

 

ー (笑)。

 

平野 とか、自分の子どもに勉強教えたら血の雨が降るんだけど、隣の子どもに勉強教えたらさ。「あんた良く出来るね」って褒めることが出来るわけよ。だからね。その循環を作っていくことが結

構大事なんだな、っていう。これもひきこもりの子たちから教わったことかな。

 

ー なるほど、そうですか。

 

平野 そう。同時に自分としても面白いな、ありがたいなと思うんだ。こういう全然血の繋がらない人にさ。子ども預けてくれて一緒に旅に出るということを許してくれてさ。

 

ー うん。あの、平野先生にちょっと自分のことを語っちゃったのは、つまり正直出てこれないというということがわかんないというところがあるんですね。自分自身の悩みが辛かったものですから。あの~、出る気がないというのかな?要するに何年も篭れてしまう状態が続くという人の気持ちがちょっといまひとつわからないというところがあるんですよ。でも、いまの話を聞いていると平野先生自体はその人の気持ちがどうか?ということを分析するよりは、とりあえず接点がもてれば良しとしよう、という風にも聞こえる気がするんですが。どうでしょうね?

 

平野 だからね。心理療法でやる作法と、地域でやっていく作法が違うわけ。

 

ーああ~。なるほど。

 

平野 僕はね、あんまり心理療法の話はね。パブリックのところではしないの。何故かっていうと、その人の心がどうなっているかということについてはそれこそ僕はそっちの方の専門なんだけど。

それはね、パブリックにしちゃうと一般化されちゃうから。

 

ーうんうん。なるほど。

 

平野 そう。だって本当のことを言えば一人ひとり違うわけ。で、それを何かそのケース・ケース話してても、それは臨床心理士の人には話すけど。だけど大事なことは、何というかな。「地域の人間として出来ることは何か」ということなんだよね。

 臨床心理士として何が出来るか?という話をすれば、もっといろいろあるよ。あるけどそれは外科医の人がどう手術してるかという話を聞いてもあんまり参考にならないでしょ?料理人がどう料理をやっているかということを理解しなくても、もっと出来ることがいろいろあったり。そういう環境を作っていくことが予防になったり。あと、余計な偏見を生まなかったり。

 そうしたら自分の問題としてちゃんと悩みやすくなるから。せいぜい悩んでくれればいいわけだし。若者は悩めばいい訳だよ。

 

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管理人:杉本 賢治

編書『ひきこもりを語る』(V2ソリューション)

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