生活困窮者自立支援法について 櫛部武俊さん(一般社団法人 釧路社会的企業創造協議会 副代表)
申請主義と契約主義を越えて
櫛部 いや、思いますよ。やっぱり僕は単純にタテが悪いのではなくって、タテの強みって持っていると思っていますよ。ただ、やはりその力に気づけないのはヨコを知らないからですよ。本当に力はあるんだけど、そこに何故気づかないのかと思ったときに、ヨコ、つまり我々のような民間でいろいろやっているような情報とつながりを持たないからですよ。持ったらタテの強みの意味が分かる。僕はそう思っています。だから「お前らタテ割りだからおかしい」という単純な規範は僕は持っていない。
■ うん。でも分かる気がしますね。やはり行政にはスペシャルな能力の部分ってあるでしょうから。
櫛部 ただ、何故それが限界を持つか。つまり公的なものって「申請主義」じゃないですか。結局、申請に来なきゃ、「ないものだ」と思ってしまう。出ていかない。聞かれたら答えるけれど、聞かれないことは答えない。その限界という問題をやっぱりタテは自覚しなきゃいけない。タテの強みも自覚するけど、同時にそこには困っている人、ひきこもりやいろいろ困った人とは繋がれないから。だから何もないのか?と言ったらそんな訳はないわけでしょう。そこが申請主義の限界だっていうものがこの問題の中にはやっぱりあると思うのですよ。それは同時に、じゃあその限界があったから、「契約」に変えていろいろやりましたよね?そうすると介護であれば圧倒的に供給量は増えました。だけど貧困ビジネスも同時に増えたわけですよ。この考え方はお上の措置から利用者本人主体といった風に、問題があるとは言われつつも、そっちにシフトしたことは間違いない。でも、これも「契約」じゃないですか。そうなるとサインしなかったら使えないとういうことです。
■ そうですよね。
櫛部 成年後見人が出てきたり、その流れでいろいろ出ても、契約主義の限界を持っているわけです。申請主義が限界だからと契約主義にシフトしたけれども、これとて、つながらない人にとっては同じものなんですよ。この二つをどうやって高い次元で統合するか。そこに困窮者支援制度の重要な役割があると思うんです。だからつながるように個々人に本当に寄り添い、アウトリーチして、という意味合いは相談機能の重要な役割となる。しかも仕事に関しても、一般就労だけが仕事ではなくて、「社会的企業」という形態による新しい地域のニーズとご本人の状態に合わせた就労の仕方の構築ですね。仕事の生み出し方。これが結果として、つまりフルスペックではなくても、ちゃんと社会保障に支えられて生きていけるんだ、という働き方の新しさ。そういうものをこの制度の中で作っていくのが非常に大事です。こういうことが共生支援といいますか、困窮者支援制度のポイントじゃないかなと思います。
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新しい仕事作り
■ そこで釧路では整網、網の魚網作りの仕事をしていますね。
櫛部 だから網などは、たまたま生活保護の「自立支援プログラム」のインターンシップという形で参加者を募りました。で、入り口はそこなんだけど、出口は地域の「担い手」作りなんですよね。僕がいま言ってるのは、もうこの人たちはスタッフで、受給者が何かのボランティアで来ているわけじゃない。単純に月2万円といえども、就業して仕事を担っている。ゆくゆくは株式会社でも有限会社でもいいけれど、まさに経営をしていく。地域の整網作業を担っていくようになったらいいんじゃない、という展望を持っています。だから、僕はすごく新しい方法と捉えているんです。
■ その展望を含めてですね。
櫛部 もう、持っているんです。だから結局これは途中経過でそこに滞留してるわけじゃなく、それ自体として発展してくるという風にしたい。
■ なるほど。
櫛部 うん。ところがまだこの困窮者支援の「就労準備」だとか、そういうものの最後の上がりは一般就労になっているわけですよ。そこが今回、それ以上には行けなかった。我々はもっと広い世界を言っているつもりなので、引き続きそれを発展させていく。
■ そうすると、困窮者自立支援法が始まります。で、自治体なり、あるいは自治体の委託した団体などが相談と就労に関する準備を行う。そこで釧路としてはそこから先のアイデア、就労に関してというのか、社会参加と言ったらいいでしょうか。そういうことを考えている。つまり櫛部さんとしてはその辺に関する新しいアイデアがなければ同じことの繰り返しになると考えていると言ってよろしいですか。
櫛部 はい、そうです。結局それは新しい「振り分け」になるだけなので。仕事に関して言うと、やっぱりここで作っていけないかなと思っています。そしてそれはアイデア勝負、コミュニティビジネスではない。それはすぐ淘汰されるでしょう。釧路の基幹産業のところでニッチなところに誰も人が来ない。だけど人がいないと困る。そういう所で求められるものがある。いま魚網プラス、何か新しいものを見つけて行きたいと考えています。そういうものを柱にしたいんですよ。そういう「幹」があった上でコミュニティの喫茶店だとか、*「ふまねっと」とかという枝を広げるけれど、幹の所がすわってないとやっぱりどうなのかな?って思っていて。そこをちゃんとしていこう、というのがウチの考えですね。何故ならそういうことをやっていると、釧路市のいろいろな漁業組合の人が認知してくれるんですよ。「ああ、あんたの所、網を作ってるんだもんな」って。そうするとそれって。例えば、何か生活困窮者や生活保護世帯や、そういう人たちは甘っちょろいことをやっていて。いわゆる自分とは関係のない世界の人たちだ、っていうものがあるじゃないですか。
■ ああ~。なるほどね。
櫛部 いま、いろんなバッシングがあるじゃないですか。
■ 生活保護バッシングですね。
櫛部 そう。その流れと一致しちゃうと僕は思っていて。だったら、本丸というか一番大事なところで、その舞台でやっぱり勝負すると。それがあると、「あんたの所、やってんだもんな」「知ってるよ」と言ってくれる。それが理解というもので、つまり連帯を広げていく意味で大事なことだと思っている。どうしてもNPOとかそういうものは何となくサロン的で、コミュニティ喫茶店作ったんですねとか。それはすごく大事なんですよ。でも何か別世界の人たちのことだ、って思われがちなんですよね。いま生産活動でいろいろ生業をしている人たちにとってみればね。それは福祉の世界の話だと。「そうじゃないんだ」、ってところをどうやったら分かっていただけるか。皆とおんなじ、どんな人も良いんだよね、という所はそこの所と絡まないと広がらないという認識を僕は凄く持っている。少なくとも市民の理解が得られて、いわゆる「バッシング」はしないだろうな、と思うんです。
社会的包摂は運動
■ つまり本格的な社会的な企業を考えてるわけですね?
櫛部 ええ。だから包摂というのは運動しないと包摂にならないですから。相手の人に理解してくださいということではなくて、やはりそれは能動的にやっていかなければならないことなんです。そうしない限りは排除という構図は不可避的に出てくるので。つまりこれは運動だと思うんですよ。社会的包摂や排除という問題は非常に力学的というか、社会活動的なわけで。そこに何かムーブメント的な要素を持っていかないと広がらない。いわば勝ち取るといいますかね。ただしそれは、鉢巻をしめてシュプレヒコールすることじゃなく、ベーシックな基幹産業や経済を支える屋台骨のどこか端のほうかもしれませんが、そこの所をちゃんと担っていること。人が嫌がるかもしれない仕事もしているというのがすごく大事だと思っているんですよね。その上に、様ざまな市民的なコミュニティカフェであったり、買い物援助があったりとか、そういうものが枝のように繋がってくんだろうな、と思っているわけです。
■ そうでしたか。いやあ。思った以上に私も何と言いますか、弱気な気持ちでこちらに来たな、と(笑)。いま思いましたね。
櫛部 いや、それはちょっと大げさかもしれないけどね。でも、信用してもらわないといけないんですよね。「どうせあんたたち来たって2、3日で辞めてっから」ということをどうしても皆さん思いがちですからね。だからそういう思い込みに対してそうじゃないよ、ということがどこまで理解してもらえるか。全ての領域で出来るわけじゃないけれど、そこの所に行かないと「どうせ福祉は金もらって終わりなんだろう」みたいにやっぱりなってしまうんですね。だからそういうこともいま考えているわけですね。
それから、これは困窮者支援の仕組みなんですが、一応ウチが仮に受託するとしても、それは社会福祉協議会であれ、ウチであれ、これは一法人で出来るものじゃありません。かたち上はいまウチが受けてるけど、3年間で一端、この法律は見直しがあります。
■ ああ、そうなんですか。
櫛部 ということは、これからも各自治体が創造的にやればいい。逆に言えば、全国一律ではないんですよ。そういう法律なんです。だから格好良くいえば地方分権型の法律で、悪くいえばスカスカなんですよ。だからいかようにも頑張れる。このお金を使いながら人や地域を抱き合わせで起こしていくことだって出来る。「しない」と思えば福祉事務所にちょろちょろって置いておしまい、ってことだって出来る。
それで一法人で出来ないだろうと私は思っていて、「検討委員会」というのがあります。これは個人の参加で、例えば民生委員協議会の会長さんであったり、保護司の方であったり、シェルターを担っている方とか、介護の会社をやっている方とか。市内の有識者がいるんです。その人たちを集っていただいて議論をしていく。ひとつはこの釧路のいろんな状態を考えたとき、足らざるところ。手を繋がなくちゃいけないところをみんなで知恵を出し合って「そこをどうやって埋めていくか」という議論とか、こういう資源があるけど、こうやって使えないか、とか。そういった議論をずっと続けていくことですね。そうやって具体的に民間のレベルでも一歩でも連携できるものであれば具体化していく。あるいは市役所にもうちょっとこうするべきではないかと「65%論」で言えば、もっと提言していく。同時に一応事務局として私たちがこれをモデル事業から本番として、相談とか、就労準備とかやったとしても、それ自体も全部明らかにして点検をしてもらわないといけない。「これじゃ足りないよ、もっとこうじゃないか」と。で、ゆくゆくは組織体としてもこの法人でなくて、もう少し人が集まったら新たな法人でやるべきじゃないかということもあっていい。最近、スーパー・コミュニティ法人などという議論もあるしね。そういうことをやろうじゃないかと。ですから、僕は確かにモデル事業は2年間で終わりましたけど、ある意味この後の3年間はチャレンジだなと思っています。
■ 今後の3年間で、ですか?
櫛部 そうです。道内35市中、モデル事業をやったのは3つか4つくらいですから。後の30市くらいはみんな様子を見ているわけです。それで今後、地域を考える町もあるでしょう。少なくとも僕らは引き続き、まだ合意された社会モデルが国のレベルでも自治体のレベルでも無い状況の中では、一般就労だけでなく、国の考える就労イメージ以上に広い概念で捉えてますから。新しいものの開発や、つながりの中で新たなものを生み出したり、つながりを作ったり、もっと官民協同のあり方を検討しながら議論するだけじゃなくて、実践もしていく。新たな形をやっぱり模索したいなと思っている。これが今の到達点ですね。だから法律が決まったから、受託団体が決まったから、終わりじゃない。違うよと。僕はもう”ING”だと。進行形だと思ってるんですよ。その進行形と当事者の先ほど言ったような様ざまな見えない進行形とが上手くどこかでつながるようになる。そうなったら随分違うと思う。
■ そうですよねえ。
櫛部 「その手が何かある?」と言われても分からないけど、この議論の中でもっと出てくるんじゃないかな。それがやっぱり言葉を「連携」で終わらせないという所ですね。
■ やる気満々ですね。
櫛部 やる気は満々ですよ。もういろんなことを聞いてもモデルがないんだ。就労にしても、相談にしても。自分たちで作らないと駄目なんだということなんですよ。
■ あの~、釧路は櫛部さん中心に自立支援のモデル事業から行政で。ずっと見てきてて、実情みたいなものは大分把握された上で、次の新たなステップのやる気みたいなものをいま聞いて感じたんですけれども。どうなんでしょうね?この制度はまさに地方分権的だし、各自治体で自分たちでやる、自治体の自己裁量でやる法律だと思うんですよね。僕、釧路はやるんだろうなあ、って。いま話聞いてて改めて思ったんですよ。でもこれって、日本の国の全体を考えるとやっぱりバラつきが出ると思うんですよね。釧路は先駆的にやってると。本気だと。けれども、ある地域では何もそういうことは動いてない。マスコミも報道しない(笑)。
櫛部 だから、他のところはやっぱり余裕があんのかもしれないね。僕らは余裕ないから。
■ ああ~。なるほど~。
櫛部 危機感がある。うん、絶対にあるよ。
■ 釧路に限らずほかの市町村も大変じゃないですか。そんなにやっぱり見ている人によって違ってくるもんですかね?
櫛部 やっぱり循環という発想がないからじゃないですか?「支援する人」と「支援される人」と思っていると見えない。僕は循環で見たい。これはまわさないと大変だなと思う。だから70才になっても何かの労作が出来たり、一定の賃金がもらえたり、それによって例えば介護の人手不足の一部が何か解消されたりとか、やっぱりつなげてつなげて考えて。で、その結果その人も元気になって、とかね。やっぱりそういうものとして僕はある意味気楽に考えている。そういうまわし方なんだろうと思っている。
■ なるほど、うん。
櫛部 何かこう、出来ないものを並べ立ててもね。
■ ああ、そうか。そう考えるとそんなに肩に力を入れる必要もなく、その地域地域で。
櫛部 はい。まあ、この話の前半ちょっと肩に力入っちゃいましたけど、基本的にはそういうことなんだろうなと思います。
ソーシャルワークの視点が重要
■ 個々の得意を相互につなげていくような、そのように考えればいいでしょうか?
櫛部 だから今回困窮者支援の中で「主任相談員」というのを相談センターに置くわけですよ。なぜ主任を置くかという議論になった時に、やっぱりマネージメントが重要になります。その場合、必要な視点はソーシャルワークなんですよ。つまり利用者を抱え込んでね。相談者はただ待つ、というさばきかたじゃなくて、それをどうやって社会とのつながりとか、社会と言ってもちょっと距離がありますよね?そうするとその中間に居場所論であったり、行くところがあったりとか、そういう媒介をちゃんと作らないといけませんよね。そういう発想的な動きを持てるポジションを持たないと出来ないです。だからおそらくケースワークじゃないんですよ。ソーシャルワークなんですよ。社会とどうつながるか、社会の仕組みをどうするか、そういう視点がないと全然終わってる感じがする。それが無いがゆえにこういうことになっているわけだから。
そういう意味でソーシャルワークの視点がすごく大事なのと、ソーシャルアクションですね。運動的に動きながらやってくという構図が必要だし。かつ、グループワークであり、もっと言えば社会的居場所。つまり人に着目しながら地域が大事だというけれど、その間にはね、溝があるんですよ。絶対ある。個人を高めて町内会、とは簡単にならないはずで。きっとそこの所にもう少し家から距離を持つかもしれないけど、通える役割の場があったり、何かをやる場所があって、交流する場所があって、みたいなもの。そういうものを中間的にちゃんと作らなくてはいけない。それがあって初めていわゆる「地域」というか、そういう所との距離がもっと現在と違ってくると思うのです。いまの所、ここは離れてるんですよ。この課題を押さえておくのが大事だな、って僕は思ってますね。
* ふまねっと
「 ふまねっと 」とは、50cmの四角い網でできたネットを踏まない様にゆっくりと歩く運動。
目の組合せや右・左どちらの足から踏み出すのかなど運動+頭の体操にもなり、普段は杖をついて歩いているひとや、体調の崩れやすい人などはこの運動による全体のバランスや認識動作を向上させる働きがあるといわれる。