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イノチが生きるとはどういうことか 若原正巳さん(理学博士)

文化的だった縄文人

杉本 先生がいま書かれておられる本は、今回はおそらく人文学なのほうに寄った話が多く出てくるのだろうなと思うんですけど。そのあたりが僕はすごく野心的な感じがしましたし、面白さや可能性を感じます。例えば日本人はどこから来たのかとか、縄文時代以前の日本人についてとか。

 

若原 いや、それはね。実はよくわかんないんだ。まあ、3万年前、4万年前とかいって、いろんな化石が少しはあるんだけれども、ほかの土地と違って日本は土地がすごく酸性が強いんだよね。だから化石がものすごく残りにくい。アフリカだと何百万年前の化石がごろごろ出てくるんだけど。もちろん日本に人類が来たのはだいたい4万年前だからけっして遠い彼方じゃないんだけども、それでも4万年前の化石は少ないんだ、酸性だから。だから縄文時代以前の日本人はどこから来たかはなかなかわからないんだけれども、縄文時代くらいになると骨の化石も残っているし、遺跡が残り、石器とか土器も出てくるから。それは非常によく分かっていて、そこからみる縄文時代の縄文人というのはすごく文化的な人間ということなの。で、普通は世界史からいうと文明というのはだいたいは農業の開始の後、都市が出来る。そこで文明開化したといわれてきた。四大文明ってみんなそうなんだけれども、河のまわりで農業が始まって、都市ができて文明だ。四大文明だとこういうわけだけれども、縄文時代は農業はないんだ。

 

杉本 ええ、そうですね。

 

若原 全部狩猟採集で少しは栗を育てたりはしてるんだけれども、本格的な農業はない。本格的な農業はなくて、1万6千年という長期間にわたってすごい繁栄してるんだよね。で、すごい文化があっだ。ほかの時代のヨーロッパとか、アメリカなんかとは違う、有数の文化を築き上げていったって僕は思っていて。それをここで書こうと思っているんだけども。まずは本格的な戦争がなかった。

 

杉本 はい。

 

若原 1万何千年の間、まあちょっとした紛争はあったようなんだけれども、ヨーロッパ中東は1万年前から戦争ばっかりやってるのだけれども。

 

杉本 ああ、そうなんですか。

 

若原 それは農業が始まるから。場所を巡ってとか、資源を巡って他民族とやりあうんだけれども、まあ日本は島国だったということもあるし、一番よかったのはすごく温暖な気候がかなり長く続いたんだよ。だから争わないの。よく「縄文時代」と「弥生時代」というじゃない?縄文時代から弥生時代に行って、それから「古墳時代」とかいうんだけども、普通こう書くから、ああ、縄文があって弥生があって、古代だとか思うんだけども、そもそも長さが違う。縄文時代は1万年から1万6千年もあるんだ。弥生時代はたかだか600年。で、この時代から米を作り出すんだけども、米を作り出してからまだ日本人は2000年なの。

 

杉本 そうですか。

 

若原 弥生時代に入って、米を作って環濠住宅作って、外から攻められるとか、食料を奪うとか、戦争が始まるんだ。戦争が始まって、約2000年。日本の場合は。弥生時代から広範に、まあ弥生時代から戦争が始まった。で、日本の戦争、この縄文の間戦争がないのだからこの1万何千年の間に戦争しなかったという遺伝子が、日本人には残っていて。

 

杉本 はあ~!

 

若原 争いはあまり好まない。日本人は。それがあの日本国憲法の9条に結実してると僕は思っていて。

 

杉本 う~ん、なるほど。

 

若原 あれは「押し付けられた」とか、そんなこと言ってる連中がいるんだけれども、そんなことはなくて、日本人は納得して70年間守ってきたから非常に大事なんだと思う。世界を見るとね。この縄文時代のときからもう向こうでは農業やってて、それがもう1万年の歴史があるから。日本はこれだけしかないんです。

 

杉本 2千年か、あるいは弥生時代から2千3百年くらいか。

 

若原 うん。日本はだから農業2千3百年。向こうのほうではね、農業始まってもう1万年経つからすでにそこで戦争が始まってる。

 

杉本 やっぱり農業始まると、「取り合い」みたいのがはじまるんですか?

 

若原 そうそう。農業始まることによって「これは俺のもんだ」という概念が出来るわけ。

 

 

所有概念がない狩猟採集民

杉本 ああ、所有のコンセプトがね。

 

若原 うん。それに対して狩猟採集のときは誰がとってもみんなのものなんだ。

 

杉本 ああ、分かち合う。

 

若原 そう。いまでも、いわゆるパプア・ニューギニアとか、アフリカの少数民族とかいろんな民族があるんだけれども。狩猟採集やってるところ彼らは所有の概念がないんだ。「これは俺のもんだ」という概念がないわけ。だれがとってもみんなのもの。そうでないと食っていけないし、そこで「これは俺のもんだ」というと、そいつはもう「アイツはダメなやつだ」、「欲張ってダメなヤツだ」ということで駆逐されるんだ。だから元々狩猟採集のときには「私有」の概念がないわけ。農業が始まってから「私有」の観念が始まる。「これは俺のもんだ」というものがあって、それを守るために戦いが起こる。だから農業が全ての、あの、害の始まりというのはいささか言いすぎだけども、戦争の歴史が長いわけ。世界的にみると、1万年なの。

 

杉本 私有をめぐって。

 

若原 私有をめぐって。で、縄文時代はすごく豊かな時代で、狩猟採集だから。「これは俺のもんだ」というのはあんまりないんだよ。争わなかったわけ。だから争いの歴史は全然違うんだ。と僕は思っていて。そこを強調しようと思ってるんだけど。

 

杉本 うんうんうん。非常にそういうことなんですねえ。

 

宗教の出だしは多神教

若原 でも、日本人も人間だから争う遺伝子も持ってる。だから戦争やったりして、この間太平洋戦争やってるんだけども、そういうことがあるけれども、他の民族に比べて争いは好まないと僕は思っていて、それは宗教とも関係していて、もともとの宗教はほとんどね。出だしは多神教なの。

 

杉本 はい。

 

若原 すべての民族はもともとは多神教。

 

杉本 はいはい。そうですね。部族宗教みたいなものかな。

 

若原 うん。元々は精霊信仰のようなものが始まりで多神教といわないんだけれども、で、宗教になったら多神教。日本も多神教だった。で、そこから一神教になっていくんだよ。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教と全部一神教。一神教にはどうしても選民思想がある。「俺は神様から選ばれたんだ」と。

 

杉本 ああ、なるほどねえ。神が創った世界ですからねえ。

 

若原 そうそうそう。で、俺は神に選ばれたんだと。いわばエリートなの。一神教の信徒は。イスラム教にしても、ユダヤ教にしても。とくにユダヤ教は強いんだけども、キリスト教もそうなんだ。だからイスラムにしたって、選民思想があって。他を殺してもいいというのは選民思想から来てる。で、多神教の時にはね。それは無い。人を殺していいとかいうのは出てこない。これは日本は元々マイルドなところで多神教だったから人を殺していいという概念があまりないんだよ。じゃあ、ヨーロッパを中心とした世界は戦争の歴史は長いし、一神教だし、相手を殺していいというのが出てきてね。なかなかひどいことになっている。なくすとすれば教育しかない。だって戦争を嫌がっている日本人だって戦争にみんな駆り立てられて。いやいや行った人もいれば、勇んで行った人もいるし、もう「鬼畜米英」だと思って、戦争をやってあいつらやっつけるんだと思ったという。みんなが思った。それは全部教育。で、教育がないと戦争なんか出来ない。人殺しはできないの、もともと。でもイスラムの過激派も、全部洗脳でしょ。

 

杉本 そうですね。

 

若原 教育で自爆してくるわけ。だから全部、そういうのは教育なんだよね。教育をきちんとやること以外に人間の将来はないな、と思っていて。それは最後のほうに書こうと思ってる。

 

杉本 なるほど。教育も二面性ということですね。片方では自分が死んでも人を殺して。自爆でも死ねば天国に行けるという教育もあれば。当然、そういうことは理性に照らしておかしいというような「抑制」の教育もあるわけで。やっぱり両面性がありますよね。片っぽは洗脳と言っていいのかもしれませんけれど。ですから、日本の昭和の戦争というのはどう考えても少し日本の歴史の中でも特異なのではないですか?まあ当然一般の、兵隊で無い人も空襲やなんかで死んだり、亡くなっている人もいますから。一層あれだけの人が一挙に亡くなるような戦争というのは過去の日本の歴史でもないのでは?

 

若原 そう、数から言えばね。数から言えばかつてないんだけれども、それはもう武器の規模が違うからね。

 

杉本 そうそう、そうですね。

 

若原 うん。近代兵器でやりあうと死者も増えるけれども、でも日本人がいくら戦争の歴史がないといったって、もう弥生時代から戦争が始まり、源平合戦もあれば、戦国時代だといたるところで戦争をやっていたわけで。

 でも文化というのかな。そうなると文化の問題になる。僕、日本人はやっぱり争いごとは相対的に他の民族に比べて好まない集団だという気がするんだけどね。でも、国をあげて戦争に至ったわけだから。それは反省しなければいけないわけだけれども。

 

杉本 江戸時代くらいまでは各藩、ある種の、まあ部族的なというか(笑)、愛郷的というか。そこら辺のレベルでは...。

 

日本人は鉄砲を捨てた

若原 幕藩体制というのは封建時代に特殊な、江戸幕府の権力がものすごく強くて各藩に争いごとを起こさせないシステムをとったから、それとも関係していると思うね。あの~、日本人は鉄砲を捨てた民族だ、という本があってね。

 

杉本 ほう

 

若原 あれはなかなか僕も面白いと思うんだけれども、鉄砲を作る能力はあったのだと。種子島に鉄砲が伝来して戦国時代に入って織田信長を中心にすごい鉄砲をつくった戦争をやっている。

 

杉本 そうですね、はい。

 

若原 で、鉄砲はすごい殺傷能力が高いし、日本人はそれを使いこなしたんだよ。自分なりに工夫して国産の銃を何千挺、何万挺と作ったわけだ。織田信長はそれで成功して戦争に勝ったんだけれども、何だかんだがあって、権力者が武装解除させていって、鉄砲はほとんど使わなくなっていたんだよね。それが260年続くんだけれども、その代わりに何があったかといったら、日本刀なんだ。

 

杉本 なるほど、なるほど。

 

若原 日本刀の文化というのがあって。それはいわゆる侍文化でね。で、日本刀というのは殺人道具なんだけども、自分で相手を切るでしょ?刺して殺すでしょ。それはものすごく心理的には負担が大きいんだよね。

 

杉本 ああ~そうですね。ええ。

 

若原 鉄砲で遠くから打つのは離れているから。すごく心理的に殺しやすい。その、心理的に殺しやすい道具を日本人は使わずにやるとすれば、自分の手で自分の責任で、肉弾戦で殺すという道具を選んだということだ。その背員や構造が日本人の特徴で、大量殺戮はやっぱり好まない。それは江戸幕府の管理能力ということもあるんだけれども、ほかのヨーロッパでは武器をすごく開発したんだけれども、けして開発能力が無かったわけではないんだけども、日本人はそれを開発せず、使わなかったわけだね。で、明治維新のときにはじめて本格的な戦争やる時に刀だけじゃなくて鉄砲でやったほうが早いからといって鉄砲を手に入れようとしたけど、そのときには日本に鉄砲ないから全部輸入したわけ。丁度アメリカの南北戦争が終わった頃合いのときで、アメリカでも武器がものすごく余っちゃったわけ。

 

杉本 ああ~、なるほどね。

 

若原 それを日本に入れたんだよ。官軍も幕軍も。

 

杉本 それは外国製のものだということですね。

 

若原 「ゲーベル銃」とか何とか銃とか、いろんな銃があるんだけれども。それまではなかった。だから銃を好まない。潔く日本刀で腹を切るとかさ。そういう精神文化があってね。やっぱり大量殺戮を好まない日本人の特性だと僕は思ってるんだけれども。でも殺さないわけにはいかないから。争いはあって、殺すんだけども。その時は手で殺す。どっちが残酷かといえば残酷さは日本刀で殺す方が残酷だとは思うんだけども、銃で殺すよりも。

 

杉本 そうですね。その代わり精神的負担が大きい。ということは、精神的負担にみあっただけの精神的な憎しみもあるかもしれないし、相手に対する心情も厚くあるのかもしれません。

 

若原 そうだよ、殺人に対する心情が高いと言えるかもしれない。

 

杉本 コストが高いんですねえ。精神的なね。

 

若原 そうそう。日本刀使うほうがね。それを選んだわけだから。そういう精神構造を日本人は長いこと持っていると僕は思っている。

 

戦争は資源の争い

杉本 それは面白ですねえ、なるほど。うん。だから自分たちで武装解除したところがあるということがあったということか。

 

若原 うん?

 

杉本 一度殺傷能力が高い武器を手に入れたんだけれども、自ら放棄した。まあ、いくら徳川といううまい管理能力発揮したとしても。人間がそれを超えて野蛮であればそういう幕府も倒して鉄砲で自分の国作っちゃおうということだってあり得たと思いますけど、それをしなかったということはその方が良いという判断。刀狩りみたいなこともうまく成功しちゃったということは。

 ただ、どうでしょう?日本ではいまいろいろと、政治的に物騒な話しあいをやっていますけど、それはなかなか日本人の身の丈というか、服装として似合うのかどうかというのは、太平洋戦争があったから、また同じこと繰り返すのかなあということはあるけれど、文化的な長い蓄積からいくと、どうも身の丈にあわないようなことだと僕は思うので、簡単に行くかどうかというのは微妙なところも感じるんですけれども。どうでしょうね?この日本人が持つような精神性というものを世界にうまく輸出し、人間が何とかかんとか生き延びるために活用するというのは。人口が増えすぎちゃたし、戦争で一種の無意識のうちにというか、殺し合いやってきて。

 

若原 あの、生物学的にはそのすごい人口が増えすぎるというか、個体数が増えすぎるとそれを調整するためにいろんなことが起きるというのはある。でも、戦争でそれをしてる(つまり、人口調節している)んだという考え方もあるんだけれども、生物学的に人口調節しなくてはいけないからやっているとは僕にはやっぱり思えない。

 

杉本 そうですか。早とちりかもしれないですね。

 

若原 うん。僕はそういう風にあんまり思ってなくて、あの、近代戦争。まあ昔からの戦争もそうなんだけれども、全部やっぱり「資源」争いなんだよね。資源の争奪だから、まあその結果人が死ぬで、結果的には人口調節にはなってるんだけれども。

 どういう風に考えたらいいのかな?戦争は絶対悪だと言って、なくすしかないと思っているけど。それはやっぱり理性しかないとは思うんだ。遺伝子的には「殺す」とか「なわばり意識」というのは他の動物もそうなんだけれども、一定程度持っていて。その縄張りを守るためには相手を殺してもいいという論理があるからそれはあるんだけれども、その野性みたいな遺伝子を抑制していかざるを得ないだろうから。そうなっていくとは思うけれどもね。ここで一番問題なのは地球の規模から行くとどうやって人口を抑制しつつ、地球の資源を食い尽くさないで生きるかということで、戦争というのは一番資源を浪費するシステムだからね。ものすごく浪費する。第一次大戦、第二次大戦をして。人的資源を浪費するけれども、物的資源もものすごく使うわけでね。今度戦争を起こしたらもうあとはないでしょうね。多分。

 

杉本 ええ、そうでしょうね。大きな戦争になれば。

 

若原 だからそれを避けるために知恵を出すべきで。それを日本人が中心になるべきだと僕は思うけど。

 

杉本 ええ。だから私が思うことはそれがイスラムの人々とか、キリスト教の人々に届くかどうかということはとても難しいことなのかなあというようなことがありますよねえ。この辺がやっぱり考えどころで。

 

若原 まあ~、ねえ?届くか届かないかはわかんないよね。まあ、そういう風な考え方は余りしたことがないからね。わからないなあ。届くのかどうなのか。

 

杉本 でもまあ、日本人的な生き方をしてるということは、何だろうな?モデルケースとしては提示できるのかもしれませんね。それを受けとめるかどうかというのは、世界の人々の判断になっちゃうんでしょうけれど。もうちょっと大きな次元の。それこそ今では資源の問題とかありますからね。

 

荒々しい環境から生まれた一神教

若原 うん。だから宗教にしても環境にすごく依存してて、さっきいったように四大文明が起こったのは全部大きな河のほとりで、中国の黄河もインドのインダスも、メソポタミアのチグリス・ユーフラテスも、ナイルも大きな河のほとりで起きて。環境がよかったんだよね。で、農業もできて、周りは森林だった。どこも全部そうだったんだけど、中国もインダスもメソポタミアもナイルもまわりの森林を全部使った。消費していった。で、レバノン杉っていうのがあって、大森林だったのをレンガを焼くために、それから製鉄も出てきて鉄の精錬をしなくてはいけないから、薪がものすごくいるわけ。だから薪をものすごく作った。そのために森の木を全部切り崩していったために、砂漠化していった。だからメソポタミアの砂漠は人間が作った。で、すごく環境が苛酷になっていった結果一神教が出来てきたと思っている。

 

杉本 あ、そうなのですか?

 

若原 うん。僕はそう思ってる。だから穏やかな所だと多神教でいい。全てのものに神が宿る。

 

杉本 うんうん。

 

若原 全部そう。精霊信仰だってそうなんだから。大自然に対する恐れがあって。全てのものに神が宿って、感謝しながら生きていくというシステムだったのが、どんどんどんどん乾燥してって砂漠しかなくなって。もうヤギとヒツジで細々と小麦を作んなくちゃいけない。すごく荒々しい環境になるでしょ?そうすると「絶対神」に頼らざるを得なくなる。絶対神の唯一のエホバに頼るという風になっていって。だから環境が劣悪化したから一神教が出来てきたと僕は個人的に思っていてね。

 

杉本 なるほど。

 

若原 多分そうだろうと僕は思うんだけどね。

 

杉本 じゃ、人間もそういう一神教みたいな、「世界宗教」とか言われてますけど、一神教みたいなものが生まれるまでは割と自然と調和的に生きる動物であったと。

 

若原 うん。それしかないからね。全部の部族を調べてみたら精霊信仰とかしかなくって、全てのものに神が宿る。だってアメリカンインディアンのトーテム・ポールとか。いろんな民族のやつは全部そうで、自然天然を畏怖して生きているということでしょう。

 

杉本 人間もそれまでは自然との接点が非常に多かったと。そうすると私なんか個人としてね。自分自身が自然からだいぶ離れちゃって人工世界の中に生きてしまっていることを考えるわけです。

 

若原 うん。まあみんなそうだよね。いまの世の中の人は。

 

杉本 ええ。だからなかなかその、自然との調和感覚とかいうものを忘れてしまっているだけにある意味の怖ろしさ、破壊性があるということは言えそうですね。

 

若原 うんうん。

 

杉本 あとは生活するために欲望を常に喚起させるというか。今まで欲望の中に含まれなかったものを商売として作っていくためにいろんなものに常に欲望というものを埋め込んでいくような社会になってきてますから。この欲望をコントロールしなくちゃいけない世界の情勢になっているにもかかわらず、逆に欲望を開拓していく反対方向の「経済と政治」になってしまっているということがなかなかやっかいな条件かな、ということを考えます。

 

欲望という名の困難

若原 欲望というのは難しくてね。

 

杉本 ええ。

 

若原 人間も動物の側面というか、動物の一種だからその欲望というのは食欲とか、性欲とか、いろんな欲があって、それはもうないと生きていけないものであるわけだ。金銭欲もあるだろうし、名誉欲もあるだろうし、いろんな欲があるわけだ。それをただ倫理だけでね、欲望はよくない、なくせ、と言ってもね。なかなかそれは難しい。なかなか欲はなくならない。ただ、いまの欲は資本主義の世の中で、「金がすべて」だと。金銭だと。つまり相当いびつに発達しちゃってるから、それは正すべきだろうと思う。正すべきであろうし、それは正せるだろうと僕は思っている。金が全てではないと。

 そういう世の中は作れるけれども、性欲も食欲も何もなくて欲望はすべて悪だと。悪というか、良くないとという世の中は多分作れないと僕は思う。何がしかの欲望の折り合いをつけて。それは欲望というのかな?あの~、もっといえば世の中を衝き動かしているもの、というのかなあ?生きていく、その活動力でもあるのさ。欲望というのは。

 

杉本 そうですよね。確かに。

 

若原 全く欲が無くてさ。枯れた爺さんみたいなのは世の中動かしていないからさ。だから欲はやっぱり必要なの。欲というのは言葉としてあまり良くないんだけれども。

 でも僕はいびつで異常に発達した金銭欲ね。すべて金で計れると。というのはあまり良くない。良くないというか、僕は好きじゃないというだけで、それがすべてだという人もいるかもしれないけどね。でも「金がすべてだ」じゃああまりにも寂しいよね。ははは(笑)。

 

不老不死は可能?

杉本 いや、でも何かいろいろな、それこそ「永遠なる若さ」みたいなものがこう、いまのね。エステだ、何とかで手に入るんじゃないか、まあ若さが欲しいというそういうもの。

 昔から確かにね。「永遠に若く」とか。出来ることなら死なずに、みたいな欲望はあったと思うんですけど、それは無理だってのは人間わかっているわけですが、技術的にね。お金があればそういう健康に関するものとか、美容に関するものが手に入るんじゃないか、あるいは貴金属とか。そういう消費に関していえばそういうことがあるかもしれないですねえ。

 

若原 不老不死みたいなね。まあ細胞操作をしてIPS細胞みたいなもので人工的に人を作れるようになればある意味での不老不死みたいなものが実現する。論理的には可能性があると僕は思っている。だって、普通の細胞からこの間実験に成功したと言うんだけれども、精子卵子を作ることができて、受精させたところまで行ってるんだ。それをやればある種のクローン人間は出来る。それを繰り返せばある意味で自分の細胞で自分と同じ固体を作られる可能性があるから、それは不老不死につながるんだけれども、やっちゃいけない。倫理的にね。でも論理的にはありうるわけ。そうなると不老不死になるから、これはもう、ある意味地獄みたいなもんで。こんなものは目指すべきではないと思う。「夢の<若返り>が可能になるかもしれません」て、STAP細胞の小保方さんが言ったけど。バカなことを言ったわけ。不老不死は良いわけではないんだよ。夢の若返りなんていうものは。確かに若返りはできるかもしれない。けれどそんなものは夢ではないのさ。ヒトは時間が来たら死んでいくというのが生物学的な真実で、その時間こそが夢の出来事なのさ。不老不死が夢なんていうことはありえないんだ。

 

 

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