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生活困窮者自立支援法について 櫛部武俊さん(一般社団法人 釧路社会的企業創造協議会 副代表)

若き頃からいまへ

 

櫛部 うん。だって、確かに役所人生だけがその人の人生じゃないから。辞めた後ね。いろいろ輝いたりすることがあるわけだけど、たまたま私の場合は役所人生の終わり頃にそういうことがあったということです。で、最初は別にそんなものじゃなかったんだけど、どういうわけか世の中の変わり目なのかわかんないけど、大してやっていないのに、そういうことになっていくわけです。いままでマイナスだったものが何かプラスのように喧伝されるわけですね。そして今度はそれが膨らまされるわけでしょ?何か綺麗な自立支援プログラムのようにされるわけです。それまではコテコテだった。この揺れ方があります。だからその中で「本当は何?」ということをずっと見ていかないと、間違っちゃうのでね。本の形で格好悪い話も伝える。

 それは多分いまの全国のケースワーカーがみな抱えてること。役所の人間であれば誰しもそういう思いがあり、あるいはもっとちゃんとやりたいな、という思いがあり、そういった場所に「伝わったらいいなあ」という気持ちはすごくあるんです。ただ、私が辞めて丸4年経ち、そうすると元・何々の人、と知らない世代がどんどん増えるわけですから。その中でいままでの先輩風のようなことではいけないわけで。どうやったらそれがちょっと薄まって、何かちょっとわきまえた対応と言いますか、そういったことが出来るかな、というのがもう一つの自分の課題です。

 

■ 本当にありがとうございます。とっても奥行きのある話を。

 

櫛部 いや、僕はこういう話が好きなんだな(笑)。だから、そうそう。もう一つ言おう。つまりね。自分の自己実現なんてね。どうでも良くなったんだね。

 

■ ああー!、なるほど。

 

櫛部 かつてはね。そこだったんだね。

 

■ なるほどねえ。

 

櫛部 だからぶつかる。右や左にね。すごく自分が大事というか、主張がね。でも、いまはね。もうどうでもいいんだ。

 

■ なるほど。

 

櫛部 あとからくっついてくる。そんなものはどうでもいいと思えるようになった。

 

■ うん。何となくわかるような気がします。

 

櫛部 うん。でもね、若い頃はね。自己実現なんですよ。

 

■ ある意味で、それも自然と言えば自然ですよね。

 

櫛部 まあ~。そうです、そうです。

 

■ あんまり強すぎてもいないけど、多少はないとねえ。何か。

 

櫛部 いや、つまりね。あとから来るというのがわかった。先じゃない。

 

■ うん。なるほどねえ・・・、でも、若いときは「先」になっちゃう。

 

櫛部 先になっちゃう。人さまの上になっちゃう。自分をそこに置くんだ。だからまあヤンチャであり、何かを突き抜けてくるんだけど、必ずそこは挫折したわけですよ。やっぱりね。その中で「ああ、そうだな」って思って。

 

■ うん、うん。

 

櫛部 いま、だから「自己実現」って、今さらこの年齢でね。だからウチのお袋じゃないけど、自己実現よりも、もう余り気にしないでね。何か生きてて何かいろいろやれたほうがいいんじゃない?と。それくらいですよね。その結果もね、後ろから何か自己実現たるものがふと振り返ればあればもっけの幸い。あまりそれは追いかけない。追いかける興味すらなくなりました。昔はあったんですよ、滅茶苦茶。だからぶつかった。それでどれほど胃に穴があくというか、安定剤飲まないといられないような、震えるような、そういうことがあったのはどうも自己実現の意識が強すぎたんじゃないのかな。

 

■ 結局、いまは「自分」じゃなくなったんですね。

 

櫛部 ああ~!でも、自分というものは変わらないんですよ。意識しなくても絶対そこにあるけれど、何かあえて意識してそこを考える必要は無くて、さっき言った職場文化とか、相対的であるとか、このあとどうやって力を合わせてやっていくかとか、職場のDNAをどう作るかとか、目前の課題があるじゃないですか?それと格闘することのほうが大事というか、「いいな」と思ってる。

 

■ うんうん。私も53になるんですけど、相変わらず自分の内側の方に目が行ってしまって、非常に情けない話なんですけれども、でもやはり櫛部さんは自分のことをどうこうよりも、目前の何をやるのか、という所。もちろんそれによって自分が評価されるか、されないかと思うこともないだろうし、だから自分というものが社会の中に開かれちゃってるんですね。

 

櫛部 ああ~。なるほど、なるほど。いやいや、でも何も無いわけじゃないよ。何も無いわけじゃない。俺だって櫛部武俊なんだから。あるけど。

 

■ はい、わかります。はい。

 

櫛部 何だろうなあ?その「暇がない」というか。

 

■ はい。そういうことなんでしょうね。

 

櫛部 こう、いろんなことがあるじゃないですか。それを毎日格闘している。考えている。そっちのほうがウエイトが大きいから、その「我は何である」みたいなさ。そういう所が暇がなくて疲れて寝てるというか。まあ、でも旅に行ったりすると時々考えるよね。

 

■ ああ、旅ね。ええ。

 

櫛部 でね。結局何が無駄かっていうと、もう自分の先が見えるでしょう。そういうった時に不全感みたいなね。自分の自己実現の不全感みたいなものがね。あったらどんな風になってるのかな?と思ったわけですよ。

 

■ う~ん。そうですよねえ。

 

櫛部 でね。あの本の中でも話したのですが、見田宗介という社会学者がペンネームで書いているんですけど、『宮沢賢治の祭りの中で』という本の中で「マグノリアの花」、つまり「幸せの花」というのは振り向いたらある、っていうんですよ。

 

■ なるほど・・・。

 

櫛部 でも人生は郵便脚夫、昔の郵便配達員ですよ。この人生というのは。何かこの険しい峰を滑り落ちないようにぜいぜい、はあはあ、いって登っていくようなものだというわけさ。ところがふっと振り向いたらマグノリアの花があった、というんですよ。僕は昔、未来というのは底抜けに明るいものだと思っていた。でも、ある時から大人になり、けしてそういうものではないと気がついた。何かそんなバラ色な、そんなものではないと。それは前にはない。前は険しく厳しいんだ。格闘するから。そして滑り落ちてね、人生から転げ落ちてもやばいわけだから。やっぱりぜいぜいぜいぜいこう、やりながら上がっていくわけですよ。その道のりの後ろにマグノリアの至福の花が咲くという。それを読んだときに「ああ」と思いましたよ。このマグノリアの花を前に求めたら、あるようでないんですよ。で、滑り落ちちゃう。やっぱり険しい彫刻のように削ったような峰なんです。そこをいろいろ確かめながらいろんな人と協力しながら登っていくんですね。でも、昔は前にマグノリアの花があると思うから追っかける。追っかけて、こけるんですよ。どっかで滑り落ちたりするんだなあ(笑)。そういう風に思ってる。

 

■ やっぱりこういう人生哲学みたいな話になって、とっても良かったなあって思います。

 

櫛部 いやあ(笑)。ずっと思ってた。だから僕はね。見田社会学の本を読んだときに頭、打たれましたよ。ガ~ンって。何かいままでの「前」に自己実現とマグノリアの花を追っかけて破綻したり、追っかけてってということとはコペルニクス的に転回するわけですよ。

 

■ 幾つくらいのときにそのように感じられたのですか?

 

櫛部 ええ。三十代ですかね。三十代の後半くらい。

 

■ へえ~。随分はやかったんですね。

 

櫛部 それまではそんなんじゃなく、イケイケだった。それで破綻したり。その時にやっぱり考えるわけでしょ?上手く行かないわけだから。いろいろな負のスパイラル的なものに堕ちこんで行くわけですから。その時にそういうものに触れて、たまたま読んで。「自我論」とかいろいろ読むと何かすごく自我とかを考える。そういうことを考えていたほうでしたからね。それで、それを邪魔するほかの人は何か敵だ、みたいなね。合わない人、みたいになっちゃうんだよ。だからそれを相対的だとすれば、やっぱりそういうものは後ろに置けと。そういうイメージですかね。でもそれは頭で分かってたけど、それが徐々にわかるようになったのは、50代後半、こういう取り組みをしてからですね。それまで僕は十人が十人に理解してもらおうという発想で来たけれど、何かをするということは必ずそれに批判、反批判があって。で、6割はいいけど、4割は違うよ、というのはあるんだということを知らなければいけなかった。そういう気付きですよね。だから甘んじて批判は受けようと。それは何かを為したからこそ出来ることだから。為さなかったらみな仲良くていいね、で終わっちゃう。

 そういう経験もあってですね。だからその後は「ああ、そうか」と。自分が先に出ちゃいけないな、と。だから役所の取り組みは本当はちょっと頑張ってやった。やりましたけれど、自分が光っちゃいけないんですよ。この仕事なり事業の取り組みを本当に進めるのであれば、自分が輝く方向に持って行ってはいけないんです。周りを輝かせなくてはいけない。心の抑制感が大事なんだと思うようになったんです。まあ、今のような民間に入るとちょっと人寄せパンダの所があるから、ちょっと露出しないと相談者の関係でいろんなことがあるからやってますけど、役所のときはやむを得なく出ることや新聞ダネになることはありましたけれど、ここには物凄い気を使いました。それはね、自分だけ目立つと絶対に失敗するから。だから自己実現なんて二の次だ、というのはそういうことです。

 

■ いやあ、だからやっぱり本読んでも感じたんですけど、おそらく組織人としてもものすごい常識。まあ常識といっても幅があるから。ただ、かなりハイ・クオリティな常識をお持ちだと思いました。

 

櫛部 いや、それはね。ケガをしたからですよ。

 

■ ケガ?

 

櫛部 つまり、それによって叩かれたりしたことから、かつての苦いことが一杯あるわけ。だからです。ただ、なるほど。常識的といわれればそうかもしれないね。ただね。諦めがあるのか?と言ったらそういうわけでもないんですよ。

 

■ ええ、わかります。

 

櫛部 つまりね。どっかでね。自我は燃えてるんです。燃えてはいるんだけど、前は「ボォ~」と出してた。いまはそれは出してない。

 

■ うん、うん、うん。

 

櫛部 その違い。ないわけじゃない。

 

■ 枯れてはいない、と。

 

櫛部 結構あると思う。だけどそれを出したいと思ったかというと、いやいや、出さない方が美学とは言わないけど、結構大事かもしれないと。

 

■ でも、美学かもしれません。

 

櫛部 たぶんね。格好づけなんだ。格好良くいたいのさ。つまりね、何だろう?その、「義を見てせざるは勇なきなり」というフレーズがあるんだけど、その時に一歩立ち遅れて逡巡してね。考えているうちに「ああ~」ってタイミング逃した自分ってイヤなんだ。

 

■ 後ろめたい。

 

櫛部 後ろめたい。ね?だからそういうところをどこか考えている所がありますね。だから格好悪く生きたくない、という気持ちはどっかある。だからこれもね。自己実現かもしれないよ。

 

■ ああ~、はいはいはい。やっぱり美学を持ちながら居たい?

 

櫛部 ああ~。格好良くいたい。

 

■ ええ、ええ、ええ。

 

櫛部 その、さっき都会的というお話あったけど、服装とかじゃなくて。

 

■ センスでしょうね。

 

櫛部 何だろうな。そういう格好の良さ?それは思ってる。

 

断ち切れない

 

■ うん。いや、あのね。おそらく僕が、もちろんこういったことの問題を自分自身の問題として今回、伺いに来てるんですけれど。同時にやっぱり僕のカウンセラーもそうなんですけど、「どんな社会であっても、つまるところ、自分なんだよ」、みたいなことを言うわけですよね。結論がわかっちゃてるんだけど(笑)。わかってるんだけど、ダメなんだよなって。ただこう深くいろいろな話を聞いてみるとやっぱり櫛部さんも同じ答えなんだろうな、って思いますね。

 

櫛部 自分なんだけど、でもつながる関係の何かって、断ち切りたいと思いつつ、断ち切れないんだな、ってことも知ってるわけ。

 

■ それは素晴らしいですね~。ええ。

 

櫛部 でも、その中の自分だよね。

 

■ 良いしがらみがちゃんとある。羨ましい。

 

櫛部 やっぱりね。実際、切りようにも切れないんですよ。

 

■ でもそれはいいことじゃないですか?本当に。

 

櫛部 いや、自然にぽろぽろと切れていけばいいなと思う。ウチの親父が死んで、親父の匂いが家の中からなくなって、やっぱりそれは二年くらい経ってから親父の匂いがなくなるんですよ。

 

■ ああ、なるほど。

 

櫛部 だから、「ああ、仏さんになったんだね」と母と話すんだけど、つまり、人間ってそういう形で記憶の中で死んだらね。やっぱりそういうもんなんですよ。自然に忘れていく。だからそれは人類の中に埋め込まれていくということでいいなと思いますね。ただそれを知ってる人間がもうだんだんね。ウチの親父を知ってる人間、かつての同僚も含めてどんどん亡くなっていくんです。それでいいんだと思っていて。だから僕がそうなった時もそういう風になっていって、それでいいんだと。

 

■ 面白いですね。ですから、私の先生もおそらく思考回路は似てるんだと思うんですよね。だから櫛部さんはおそらく人としての道筋としてきっと良い、理想的な過ごし方をされてきてるんじゃないかな、という気がします。

 

櫛部 いや、多分ね。役所を辞めてやっぱりこういう立場というか、こういう状況にある分の、まあ比べた上での自由度ですね。それがそう思わさせてると思います。

 

■ あ、なるほどね。

 

櫛部 まあ、もう何でしょう?何か、いろんなことは気を使ってるけど、マイナスの気を使うというと変な言い方だけど、そういうことは少ないよね。まあ勿論、対外的にはね。いろんなことはあるけど、それが日々の生業ではないから。つまりここは割りとポジティヴな所での様ざまな悩みなので、こんな幸せなことはないですね。

 

■ そうですね。

 

櫛部 はい。これがやっぱりいろいろな人がいて、上がいて、へしゃげてその中でそっちにも気を使わなきゃいけない。非生産的だなあというようなことがここでは少ない。それがちょっと気分的には楽なんでしょうね。やっぱり。

 

■ いやあ~、ありがとうございました。本当にすごい。こんなに話をしてもらえるなんて。

櫛部 いやいやいや。勝手にしてんだよ俺。ははははは(笑)。

 

■ 日常的にもされてるんですかね(笑)。

 

櫛部 いや、そんなことはないですよ(笑)。

 

(2015年2月13日 釧路一般社団法人釧路企業創造協議会事務所にて)

 

 

 

釧路市の生活保護行政と福祉職・櫛部武俊―自治に人あり〈5〉 (自治総研ブックレット)

 

櫛部 武俊 ( くしべ たけとし)

1951年 富良野市生まれ 北星学園大学文学部社会福祉学科卒

1975年~ 釧路市職員 知的障がい児通園施設児童指導員

1988年~ 釧路市生活保護課ケースワーカー

2010年 釧路市生活福祉事務所生活支援主幹で釧路市職員定年退職

2012年 厚生労働省社会保障審議会「生活困窮者の生活支援の在り方に関する特別部会」委員

現在、   一般社団法人釧路社会的企業創造協議会副代表

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